『ペンションサザンフィッシュ』
南栄生島に唯一存在する、リゾート用宿泊施設にしてオーナーである三田村隆史さんが腕を振るう軽食レストランでもある。
日中「俺たちを湯でタコにでもする気かよ!」と散々照りつけた太陽が帰り支度を始めた頃、いつもなら学校帰りの学生でごった返すはずの店内は昨日までの喧騒が嘘のように閑散としていた。
漂う空気は冷たく、重く、どす黒い…。
暴力団関係者ですら、「生きててスイマセン…!」と土下座して逃げ出すような空間に俺はあえて身を置いていた。いや、置かねばならなかった。
男として、茜の恋人として、そして将来もしかしたら「義兄」となるかもしれない人から逃げ出すわけにはいかないだろう?
…もし、許されるなら全力で帰りたいけどな。
「…で言いたいことはそれだけか?航?」
「…はい。俺たち、付き合おうと思ってます。友人としてではなく恋人として。それを隆史さんに認めて貰いたいと…」
ゴキキキキ…ッと言い終える間もなく隆史さんの手元にあったプラスチックのコップが握り締めた手の形に添って変形した。
……どうやらこちらの主張をとっても良く理解してくれたみたいだ。
「航ぅ、俺は言ったよな?あ・か・ねには手を出すなと。テメーの耳は飾りか?そのイカしたピアスを付けるためだけにぶら下がってんのか?だったら別に耳なんていらないかもなぁ…?」
いや、要ります、要ります!!と俺は思い切り首を横に振った。
「なんだ、そんな耳でも必要だって顔してんな〜?しょーがねぇなぁ、だったら片方で勘弁してやる。…俺って優しいだろ?」
「嬉しくて、涙が出るよ隆史さん…」
だろう?と隆史さんは満足気に頷く。視線は俺の耳に張り付いたままだけどな。
獲物を品定めするような目は、まるで普段と違う。
…ここにきてようやく理解した。
今、目の前にいるのはサザンフィッシュの男前オーナーではなく、5年前に高見塚学園始まって以来の問題児と呼ばれた三田村隆史だということに…。
「も〜お兄ちゃん、冗談言い過ぎだよ!航くん、青くなってるじゃない〜っ!そんなこと言うお兄ちゃんなんてサイテーだよ〜っ!!」
「あ、茜は黙ってなさい!お兄ちゃんはこの『馬鹿』と話してるんだからな」
と、遺書を書くのを忘れたことを後悔しかけた時、横からこのピリピリとした空気をまったく読まない声が聞こえてきた。
まぁ、いつもなら暴走した機関車のように喋りまくる茜が今までじーっと黙っていたのが奇跡なんだが。
「お兄ちゃん、いい加減認めてよ〜!可愛い妹とその彼氏がこんなにお願いしてるのに言うこと聞いてくれないなんて兄としてどうかと思うな〜!」
「…いくら茜の頼みでも駄目なものは駄目なの!あれだけ、航と付き合うのはやめておけって言っただろう!」
「そんなこと言ったって好きになったからしょ〜がないじゃん!運命の恋なんだから、お兄ちゃんにいくら言われてもわたしは航くんと付き合うの〜!」
「茜…、いくらお兄ちゃんでも許せないものはあるんだ。運命だろうが、一目惚れだろうが、幼い頃の約束だろうが、駄目ったら駄目なの!」
「う〜う〜っ!お兄ちゃんのばか、バカ、馬鹿〜っ!」
茜の馬鹿3連呼を受けても隆史さんは怯まない。
いつもならあっさり茜の言うことを聞いてしまう隆史さんも今回は一歩も引かなかった。
…泣いてるけどな。
「あの、隆史さん。俺、本気なんだ。本気で茜のこと好きになったんだよ。もう女子大生のおねーさんたちに声を掛けることもやめるし、合コンだって行かないよ」
「わ、航君…?」
茜が横で聞いているのにこんなことを言うのは滅茶苦茶恥ずかしいけど、隆史さんに俺の気持ちを理解してもらうには今この場で言うしかない。
遊びじゃなく本気だってことを伝えなくちゃいけないんだ。
「茜のことを誰よりも大切にする。誰よりもこいつを笑わせてみせる。こいつを守るためなら俺は命だって懸けてもいいと思ってる。本気なんだよ、隆史さん」
「航くん…っ」
全部本気だ。俺は茜のためなら何だってやれる。
そのためには隆史さんと本気でやり合うことだって厭わない。
隆史さんは俺の目線を真っ向から受け止める。
何度も修羅場を潜り抜けた隆史さんの目は肉食獣のそれだったが、俺も逃げない。
いつもなら騒がしい茜もこの時ばかりはおとなしい。
そうしてしばらく向かいあった後、隆史さんはふと視線を逸らしタバコに火をつけた。
「誰よりも大切にする…か」
隆史さんはその言葉を噛み締めるかのように呟いた。
…誰よりも茜を大切にしてきた人だから、いきなり俺がそんなことを言っても信じてもらえないかもしれない。
だけど、引けない。
「ところで航、お前にちょっと聞きたいことがるんだが、いいか?」
「…なんでもいいよ隆史さん。」
少しでも隆史さんに俺たちのことを認めてくれるなら…どんな質問でも構わない。
「そうか。いや、たいしたことじゃない。夏祭りの晩のことだ」
夏祭りの晩…?なんで今更?
「そん時なぁ、茜のやつ着物がボロボロで帰ってきたんだよ。擦り傷も出来てるし、結構派手に転んだだけって茜は言ってたんだけどな」
それは俺を追って、あの坂を転げ落ちたからだな…。
今考えても茜のやつ無茶したよな。
「まぁ、それはいい。擦り傷ぐらいなら、大したことじゃない。ただなぁ、問題なのは翌日のことなんだ。どこかが痛いみたいでな…やけに歩きにくそうにしてたんだよ」
………それはもしかして
「その歩き方がなぁ、まるでどこかの馬鹿に大切な 何 か を破られたみたいなんだよ。何でそうなったのか誰よりも誰よりも茜を大切にするお前なら何か知ってるんじゃないか?航ぅ…?」
どうしてそんな確信に満ちた目で俺を見るんだ隆史さん。
当たってるけど、当たってるけど!
駄目だ、大切にするって言った今本当のことを言うのは危険すぎる。
どうすれば、どうしたらいい!?
必死で言い訳を探していると、茜と目が合った。茜は俺を安心させるかのように微笑む。
「大丈夫、茜ちゃんに任せなさい〜っ!」とその目が言ってる気がした。
茜、任せていいのか…っ?
「お兄ちゃん、航くんをいじめるのはやめてよ〜!航くんは悪くない!わたしから誘ったの〜!そ、それに航くん、何だかんだ言って優しかったし…きゃっ☆」
「航ぅうううううううう!!!」おまえ、絶対わざとだろぉぉぉ!茜ぇ!
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